ドラクエという逃げ場所 ~あるゲーム好き少年について~

DQ-My-Past ゲーム雑談
記事内に広告が含まれています。
  • この記事に書いてあること
    実家で発掘したゲームノート(小中学生のときのもの)をちょっとだけ公開。
    お急ぎの方は「持ってかえったアルバム」の項目だけお読みください。

僕は 今から
愚痴るぜ!

先日、実家に行ってきました。
「実家のような安心感」なんて言葉があるくらいなので、世間一般的に実家は落ち着く場所なんだと思います。
しかし僕にとってはそうじゃなく……いら立たされただけじゃ面白くないので記事にします。ゲームとも関係がありますし。

両親が実家を引き払うことになり、置きっぱなしのものを片づけるようにと僕は言われました。

僕は捨てていったつもりだったので、どうにでもしてくれていいです。そもそも僕は実家にできるだけ近づきたくない……
とは言え、ああだこうだ言われ続けるのも面倒です。仕方がないので片づけに行きました。

あれは捨てるこれも捨てるとどんどん片づけを進め、ぶち当たったものはアルバム。中には僕の写真がたっぷり。
もちろんアルバムも捨てます。親はそれも捨てるのかと言っていましたが、問答無用。

どうして僕はアルバムを捨てるのか。
そもそもどうして僕は実家に近づきたくもないのか。

実家の人その1

僕の実家は一言で説明すると「母親が強い家」でした。

僕の母は他人の価値観を認められない人間。「自分の価値観を人に押しつける」「自分の価値観に一致しないものを腐す」ということをいつも行っていました。
「価値観に合わないものはスルーする」ということができればいいんですが、母にそういう選択はありません。気に入らないものを自分の前から排除するだけじゃなく、自分のそばにいる人の前からも排除しようとします。

よく覚えているのは、僕が趣味で書いていた漫画のこと。「また面白くないものを書いてる」とかしょっちゅう言われていました。小学生で面白いの書けたらすごすぎるだろうに……
好きな漫画やアニメのことも「つまらなさそう」とかかなりぶっ叩かれていました。漫画を破かれたり隠されたり捨てられたりしたことも。

友人関係にも口を出されました。
小学生のころの僕は元々近所の子たちと一緒に登校していたんですが、ある日いきなり母に「今日からN君と一緒に学校へ行きなさい」と言われました。N君の親との近所付き合いが関係していたみたいです。
N君と一緒に登校するためにはルートを変えないといけない……近所の子たちを付き合わせるのもどうか……という葛藤から僕1人だけ別の道に進んだあの朝のことは30年以上たった今も忘れられません。

N君はいいやつだったんですが、しばらくすると今度は「N君は××だから(←何やら差別的な言葉)付き合ったら駄目」と母が言い始めました。近所付き合いが面倒になったみたいです。
そのころ僕はN君と仲よくなっていたし、言われたことの意味を受け入れられなかったので、さすがに従いませんでしたが。

なお、N君とは先日一緒に食事してきました。
しょっちゅう会うわけじゃありませんが、今も友人だと思っています。

そうやって反抗することもありましたが、基本的に僕は母の顔色をうかがいながら育ってきました
親が気に入らない行動を取ると正座させられてヒステリックに怒られます。「お前は駄目なやつだ」「覇気がない」みたいなことも毎日のように言われていたっけ……
自尊心とかいうものはベコベコのボコボコで、毎日泣き暮らしていました。そうすると今度は「メソメソするな」です。
「人の顔色をうかがうな」もよく聞きました。いや、あんたの顔色をうかがわないと生活できないので。

実家の人その2とその3

他の家族は助けてくれません。

父は立派そうなことをいつも言っていましたが、完全に口だけ。外面がいいのでご町内ではいい人と思われていそうですが、家庭内では無力。僕は「母の手下」としか思っていませんでした。
僕が遊んでいたファミコンは父が買ったものです。今思うと、買ってくれたわけじゃなくて自分が忍者好きだから忍者関係のゲームをしたくなっただけだったのかも。
そういや。海に行ったとき溺れさせられたな……

弟は母の味方という立場をうまく構築。僕が座らされて説教されているところを見て、どうすれば実家でうまく生きていけるか彼なりに考えたんだと思います。
僕は好きな漫画を母から馬鹿にされたくなくて、隠して持つようになりました。それを弟が「お兄ちゃんがこんなのを持ってる」とか言うんですよ。
18禁な本だったら弟はさぞかし母にほめられたはず。しかし僕が隠していたのは普通の漫画。それでも「僕はお母さんの味方」と主張する行動としては十分だったと思います。

毒親というもの

いびつな家なんですが、親たちの外面がいいのでご近所の方々はあまり気づいていなかったかもしれません。
友人もほとんど気づいていなかったようです。中には後で「空気がおかしいと思っていた」と振り返る友人もいますが……上のN君とか。

今どきはこういう家庭のことが世間に知られていて、毒親とか毒家族とかいう言葉があります。
毒親あるある的な話を検索していると、もっとひどい話が出てきます。うちはそこまでではないのかも……? 食事はちゃんと出てきましたしね。
お小遣いも出ていました。僕がゲームソフトや漫画を買えたのは、お小遣いやお年玉を貯めていたからです。まあ、貯金を弟が勝手に使ったりゲームソフトを弟が勝手に売り払ったりしていましたが。そしてなぜか弟は親に怒られないという……

DQ1234
こいつらは貴重な生き残り(隠して持っていた)。

母の必殺技

僕が成長してきても、母は僕の大事なものを腐し続けました。
しかし母も「もし反撃されたら……」なんて思ってきたのかもしれません。座らされての説教はなくなってきました。
僕がある日ついうっかりバットでガラスを割ってしまったときからだったかもしれません(多分、本当にうっかりです)。どうしてそうなったかは覚えていませんが、「これはめっちゃ怒られる」と思ったのに全然怒られなかったことはよく覚えています。親も引いたんでしょうか。

座らされて以下略の代わりに、母は父の愚痴を僕へ聞かせるようになりました。「お父さんはいい加減でだらしない」「あいつのような人間になるな」という感じです。
そんなこと言われても知らんよとしか僕は考えていませんでしたが。

弟にも同じことをしていたのが後に発覚しました。
僕と父は同じ職業なんですが、僕は就職した後で弟に「親父の仕事っていい加減なのか?」と尋ねらました。商売上手かはともかく、外面がいいので仕事は丁寧なのに。

今思うと、これは母の技でした。

愚痴を聞かせることで父と子供たちを切り離しておけば、「3人で組んで自分に向かってくる」という状況を回避できます。
そんなことをしなくても、弟は母の手下として調教完了されているから大丈夫。父も助けてくれなかったのは「もめるくらいなら気づかないふりをした方がいい」と考えていたからでしょう。
僕自身も「父と弟は敵の手下」としか思っていなかったので組もうなんて思いませんでした。

エピソードは他にもいろいろありますが、このくらいにしておきましょう。
そういう少年時代だったので、僕にとっては過去の写真なんて嫌な記憶を思い出させるものでしかありません。アルバムを持って帰るわけがないです。

気が向いた方はこのブログの検索欄に「母」「父」と入力してみてください。これを書いている時点で400記事以上あって「主人公の母・父」とかいくらでも登場するのに、出てくる記事の数は意外と少ないです。
何だか書きにくいんですよ……特に「母」……

ドラクエ登場!

そんな少年時代の中で出会ったのがドラクエ1でした。

教えてくれたのは友人の1人。こんなに面白いものがあったのかと僕は衝撃を受けました。
画面の中に別の世界があって、名前を付けて自己投影できる主人公が大活躍です。自尊心を崩された少年が大喜びするのも当たり前。

プレイ開始と同時に始まった遊び方が「脳内設定」でした。

ファミコンの電源をオンにするとゲーム世界につながって、主人公が敵と戦ったりします。
では、電源をオフにした後のゲーム世界はどうなっているんでしょうか
今だと「どうぶつの森」を例にするとわかりやすいかもしれません(もちろん当時はまだありませんでしたが)。
電源をオフにしたとき、どうぶつの森の世界は消えているんでしょうか。そんなことはなく、オフの間に村人が入れ替わったりします。
つまり、オフにしてもゲーム世界は存在しているわけです。

僕は電源オフ後のゲーム世界を頭の中で作っていました。
主人公は戦っていないときに何をしているのか、どういうところに住んでいるのか、どういう友達がいるのか、どういうものが好きなのか、作中にはどういうお店があるのか、作中の歴史は……という具合。

要するに逃避行動です。しかしこのお陰で僕のメンタルは保たれたと思います。
頭の中だけでやっていることは外から見えないので、母も腐したりできません。ゲーム自体は馬鹿にされっぱなしでしたが。

ゲームノートも登場!

残念ながら、全てを頭の中だけで済ませることは不可能。
絵を書いたりして出力したくなることもあります。設定を忘れないように書き留めておくことも必要になります。
それに昔のドラクエは復活の呪文(パスワード)の記入で前回のプレイ終了時から再開させる仕組みだったので、書いておくものがないといけません。

そこで作られたものが「ゲームノート」です。

少年時代の僕はゲームノートを作り、復活の呪文を書いたり絵を書いたり設定的なものを書いたりしていました。
もちろんゲームノートは引き出しなどに隠して持っておきます。

しかし母が見てまた馬鹿にしてきます。どうしてわざわざ見るのか、どうしてわざわざつついてくるのか……面倒くさい人です。

ドラクエのナンバリングシリーズが進むと復活の呪文はなくなり、冒険の書(セーブ)ができるようになりました。復活の呪文を書き留める必要は消えましたが、絵や設定を書く習慣は消えません。
更に僕はだんだんオリジナルのゲームや物語を考えてノートへ書くようになりました

すると引き出しにしまっているゲームノートは母にとって「謎の物体」となったみたいです。ある日、「引き出しに入っているものは何なんだ!」と問い詰めてきました。
このときの僕は「大人は忙しいからずっと問い詰めていられないはず」「黙っておけば時間切れになる」と考え、何もしゃべりませんでした。小癪な作戦はうまくいき、時間がたつと母は悔しそうにしながら引き下がりました。

その後の実家と僕

僕が大人になってからも実家の空気は変わりませんでした。
母は人の大事なものを馬鹿にしたり踏みつけたりし続け、父は口先だけの人間のままで、弟は母のイエスマンです。治し方なんてないのかもしれません。

僕は母の顔色をうかがわないといけない実家が嫌で1人暮らしを始めました。他人が変わってくれることに期待するより自分を変えた方が早いです。
実家を出たときもすったもんだあったんですが、ゲームとの関係は薄め。ここで語るのはやめておきます。

そんなに嫌なら縁を断てばいいと思うんですよ。
しかし僕は父と同じ職業なので、職場で「お前の父が云々……」という話になることもあります。実家と縁を完全に断つのは困難。
僕の必死度が足りないという気もします。何なら転職すればいいのに「どうしてあの人たちのために職を変えないといけないわけ?」とか言っています。

なお、「昔こんなことをされた!」と母に言ったことがあります。答えは「そんなことしてない」でした。やった側はそんなもんだろう……

僕は「置いていったものは勝手にしろ」と言うだけにして、わざわざ実家なんかに行かなければいいです。
しかし、気になるものがありました。あのとき持っていかなかったものです。

DQ-My-Past01

それがこのゲームノートです。
左がドラクエ1用。右がドラクエ2~4用です(わかりにくいですが2冊あります)。

DQ-My-Past02

上から順にドラクエ1勇者の兜、ロトの印、そして竜王。竜王結構うまくない?

DQ-My-Past03

ドラクエ1に出てくるモンスターの経験値やゴールドについて書いています。このときすでに分析好きだったようです。
しかし僕……どうして「大魔道」を漢字で書いて「悪まのきし」は一部ひらがな? 「魔道」より「悪魔」の方が言葉として取っつきやすそうなのに。

DQ-My-Past04

ドラクエ1とドラクエ2のプレイ開始・クリア日がこれではっきり……おおっと僕、「4ヶ月18日間」「8ヶ月19日間」は計算を間違えている。

DQ-My-Past06

こっちはドラクエ3のクリア日。
このページには書いていませんが、プレイ開始は5月1日です。

他にも思い出がいっぱい。
僕にとってはゲームノートの方がアルバムです。

ゲームノート回収のためとは言え実家に行くのは僕にとって面白くない、というわけで記事にして憂さを晴らしておきました。

これはあくまで僕の目から見た話であって、親には親の意見があると思います。僕が憎たらしいやつなだけという可能性もあります。
文章にして振り返ってみると少年時代の僕は反撃して一杯食わせたりしているし、どっちもどっちな部分があるかもしれません。でも、やられっぱなしは面白くないですしねぇ?

今回は難しい話になってしまいました。
次回はまたいつもどおり馬鹿馬鹿しい話です。

スポンサーリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました